雨上がり気まぐれ蒼い風

東海道貨物線でチマチマと。

僕が僕であるために

前に自分は、「人に気を使うこと」が嫌いと述べた。

人に気を使うということは、ありのままの自分を抑えなければならない時があり、いき過ぎれば、人によって態度を変えると他人に思われてしまう。

自分は友達に「お前は人によってほんと態度変えるよな。」と言われたことがある。

人によって態度を変えて何が悪いのだろうか。嫌味ったらしく言ったから、その友達にとっては人によって態度を変えるってことはよくないことと思っているのであろう。

自分は本当に信頼している友達には、態度が悪くなってしまう。

態度が悪くなると言うのは、少し塩対応になるというか、適当になるというか。

逆に付き合いたての友達には、ありのままの自分を抑えて、なるべく気を使うようにする。

では本当に信頼してる友達とは、何なんだろうか。

持論だが、本当に信頼してる友達とは「気を許せて、いざピンチになれば助けてくれるような友達」のことをいうと思う。

つい最近まで、「気を許せる友達」が本当に信頼してる友達としてたが、バイトの時に上司から、「ダチってのはピンチになれば助けてくれる人」って言っていたので、それを踏襲した。

言うまでもなく、気を許すってことは、自分の嫌いな「気を使う」ってことをあまりしないことである。(あまりと言うのは、親しき仲にも礼儀ありってことで多少は気はつかってますよってことで)

人によって態度を変えることを指摘してきた友達は、本当に信頼してる友達と思っていたから、それを否定されたのは少しショックであった。

自分自身、あまり友人を作るのは得意ではないタイプで、19年生きてて、本当に幸せなのは、友達をいかに作るかではなく、本当に信頼できる友達を数人つくるってことだと思っている。

中1の時、自分は帰宅部で、学校内で最初は友達と言える友達がいないと思っていた。

その時は寂しさのあまり、人気者になりたくて、いろんな人と関わることに挑戦した。

いろんな人には、悪い奴がいて、そいつとは関わって失敗だったと思う。

その時、人気者になるって大変だ。なっても大変だと思った。

そして自分は本当は人間が嫌いってことに気づいたのである。

人気者ってのは人間が好きではなくてはならないと思う。そして人に気を使えなきゃならない。

例えばAさんともBさんとも仲良くしてるとしよう。

そこでAさんがBさんを嫌いと言ったらBさんを裏ではディスりつつ、Bさんと表面上では仲良くしなければならない。

いろんな人と関わったことがある人であれば、そう言う経験はあるのではないのだろうか。

そんなことがずっと続けば、人間が嫌いになるに違いない。

だから人気者は幸せなのだろうか‥というと、逆に不幸せだと思う。

だからこそ本当に幸せなことは、本当に信頼できる友達を数人作るってことなのだ。

それに気づいた時、なんて中1の時の俺はバカだったろうと思った。

そして自分はもう人に気を使うのなんかやめた。自分は自分らしくあろう。

自分を受け入れてくれない人は、無理して関わる必要はないと思った。

で、最後に何を言ってるのか自分でもわからなくなったので、これくらいにしておきます。

適当にダラダラとすいませんでした。


追記

今日は朝の貨物は寝坊。学校前に山貨で3086レを。

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(3086レ EH500-51牽引 大崎にて)

都心を白昼堂々とつっきる唯一のカモレ。

エコパワー系の機関車。あんま撮る気しないんだけど、今日撮ってみて改めてかっこよく感じたとさ。